1998年に保見ヶ丘日本語教室が発足して13年、センターとして12年になります。
少し活動を振り返ってみたいと思います。 当初は、行政のお知らせなどが翻訳されていない状態で、子どもの教育や社会保険や労働災害などの相談が、日本語教室に持ち込まれました。 日本語教室の時間のみでは対応できなかったためセンターを立上げました。 まずは、日本人が知りえる情報と同じ量の情報を届けたいと思い、日本語教室では地域の情報をやさしい日本語で理解してもらうよう努め、センターではきちんと母語で理解してもらうように努める、という考え方は現在も変わっていません。 この間、行政からの情報なども多言語化され、センターの活動も外国人支援から、同じ地域に住む地域住民として、ともに地域をつくるにはどうしたら良いかという「地域づくり」の方向に変わってきました。 阪神大震災、そして東日本大震災で我々が学ぶべきことは、「地域力」だと思います。 国籍、性別、世代別に拘わらず、まず、お互いに顔の見える関係、お互いに助け合える関係を日常的に作っておくことが大切だと考えます。 今後もセンターとして、保見団地に住む様々な人々が、お互いに同じ地域住民として関わり合えるような仕掛けを企画、実施していきたいと考えています。
平成23年7月吉日 |